2012年2月6日月曜日

『ヨーロッパ思想入門』(岩田靖夫, 岩波ジュニア新書)の【誤植】



なんだかんだで読書時間が確保できず、ズルズルと1冊に時間をかけてしまいましたが、本日をもって『ヨーロッパ思想入門』(岩田靖夫,岩波ジュニア新書)を読み終えました。

この本は非常に面白くて、この本を入り口に様々な本を読んでいこうという気にさせてくれました。

もっとも、最後の方に書かれている近代哲学については、やはり難しく感じました。
哲学者達はある状態や状況を独自の専門用語で定義付けしているので、その用語を正しく理解していなければその哲学者の言っていることが理解出来ないわけでして、となると、今の私のようにそういった専門用語を全く理解していない状態では理解出来ないのは至極当然のことですからね。
また、こういった専門用語は、分かりやすい言葉、表現に変換できないことが多いですから、この本の著者である岩田氏もそういった専門用語をそのまま使って説明するしかないわけであって、自然と分かりにくくなってしまうものですしね。
例えば、本書の232頁で紹介されている「エルアイグニス」という用語なんかがその典型例なのでしょう。本書の後半は、こういったカギ括弧で記述される用語(専門用語)が比較的多数出てきます。


さて、この『ヨーロッパ思想入門』という本、非常に良いとは思うのですが、個人的には1点、どうしても見過ごせない記述があったので、ここで紹介しておきます。

その記述は、本書本文の最終頁(244頁)にある以下のような記述です。
少し長くなるのですが、その記述のちょっと前から引用させていただきます。(※強調下線は私によるものです)



(243頁 第2段落〜)
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偶然に出会った助けをもとめている人、傷ついた人、死にかけている人にどこまでも関わること、これが他者に出会うということであり、責任を担うということである。責任とは自分が選ぶものではない。それは逃れようもなく課せられてくるのである。レヴィナスは人間に実体的な自己同一性を認めていない。人間の自己同一性、すなわち、現代流行の言葉で言えば「人間のかけがえのなさ」とは、苦しむ他者に出会ったとき逃れようもなくその苦しみをともに背負うこと、この責任の引き受け、においてのみ成り立つのである。それ以外に、人間の「かけがえのなさ」などというものは存在しない。
では、なぜ見知らぬ他者に私たちはそこまで巻きこまれなくてはならないのか。それは、私たちの記憶が回収できない時間(diachronie)において、私たちはその他者に連帯していたからである。すなわち、人間はみな神により無から創造された者として、質量によってではなく、作者によって連帯しているからである。人間の最初の殺人、すなわち、カインがアイルを殺したとき、神の詰問にカインは「私は弟に何の関わりがありましょうか」と答えている。この連帯の切断が殺人の開始なのである。それゆえ、私たちにもアウシュヴィッツや南京の大虐殺に責任があるのである。
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私自身、レヴィナスの著書をまだ読んでいないのですが、今のところ上記のような彼の思想には納得されませんでした。
ただ、なんとなーく言わんとしていることはおぼろげながらに分かります。
まぁ私がここで気になった記述というのはそういう思想信条、主観的な部分ではありません。私が気になったのは、《南京の大虐殺》という言葉。
最後の最後、この《南京の大虐殺》という表現が出てきた時は本当にびっくりしてしまいました。正確に言えば、ズッコケました(・∀・)。

本文244頁のうちここまでの243頁に渡って良いこと言ってきたのに、最後の最後、まさに最終頁でなんという誤謬!!・・・orz
これはなんなのでしょう。。確信犯ですかね??


こうした過ちを目の当たりにすると、改めて考えてしまいますね。
優秀な人間が正しい人間であるとは限らない。
ということを。


客観的事実は客観的事実です。
思想信条によりその客観的事実が変化することはありませんし、あってはなりません。
「南京大虐殺」という事実は全くありません。
これは客観的な事実です。
なのに、何故、この著者はあたかも南京大虐殺が存在したように記述しているのでしょうか。
確かに、戦闘行為は存在したでしょう。
人も死んでしょう。
しかし、「大虐殺」は有り得ません。

したがって、あえてこのBlog記事のタイトルでは「『ヨーロッパ思想入門』の【誤植】」と表現しました。

きっとこの本の著者である岩田靖夫さんは南京大虐殺が存在しないということをご存じなかったのだと思います。(まぁ、ありもしないことを信じている状況がそもそも稀有ではありますが。。)
仮に、南京大虐殺が存在しないことを知っていて、あえて本書の最後のまとめ部分で「私たちにも……南京の大虐殺に責任がある」と記述しているのだとしたら、それはもう・・・'`,、('∀`) '`,、笑うしかないです'`,、('∀`) '`,、...... orz


この一言(一文)が最終の最後に出てきたせいで、読後感は良くありませんでした。
残念です。


さて、次に読む本は、『法における常識』(P.G.ヴィノグラドフ)です。
本屋でタイトルを見た瞬間に購入を決意しました(・∀・)。
このタイトルからして法学徒にとっては必読書間違いなしだろうと。



それでは皆さん、おやすみなさい。

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