今日、臓器提供意思表示カードが届きました。
(社)日本臓器移植ネットワーク(http://www.jotnw.or.jp/)というところで登録するやつですね。
そもそも臓器移植とは何哉。
ということでwikipediaさんのところへ行きましたら、こんな感じでした。
《移植(いしょく)とは、「提供者(ドナー)」から「受給者(レシピエント)」に組織や臓器を移し植える医療行為のこと。》
「医療行為」とくれば、法学徒としては、刑法35条後段が問題になるという点に反応しちゃいますよね。この論点は面白いです。
特に、「専断的治療行為」と呼ばれる問題はなかなかに面白い。
この点、治療行為が違法とならない理由付けを違法性阻却に求める立場にあっては、被害者(患者)の自己決定権を重視する立場にせよ、行われた治療行為の社会的相当性を重視する立場にせよ、結局のところ、『患者の(推定的)同意・承諾』が大きなポイントになりますよね。
結局のところ、臓器提供意思表示カードとは、この『患者の同意・承諾』という、違法性阻却されるか否かの判断をする際に最も考慮される事由をクリアするための道具ということになりそうです。そう言ってしまっていいんじゃないかな。間違ってたら指摘宜しくお願い致します。。
この点、
2010年7月17日以降においては、脳死移植は本人が提供拒否の意思を示していない限り、家族の同意が得られれば認められるようになっています。
つまり、事後的な家族の同意が『患者本人の推定的同意』とみなされ、違法性が阻却される、ということですね。
この点、
2010年7月17日以降においては、脳死移植は本人が提供拒否の意思を示していない限り、家族の同意が得られれば認められるようになっています。
つまり、事後的な家族の同意が『患者本人の推定的同意』とみなされ、違法性が阻却される、ということですね。
これはどうなんでしょうね。。普通に考えて家族の同意と本人(患者)の同意は完全に別物だと私は思うのですが。。家族であっても、各人が信じている正義(価値観)は異なりますからね。。しかも憲法は個人主義ですし。。
しかし、逆に考えると、本人が同意しているならばたとえ家族が反対していても臓器移植は可能になる、ということにもなりそうです。
う〜ん。。どうなんでしょう。。
しかし、逆に考えると、本人が同意しているならばたとえ家族が反対していても臓器移植は可能になる、ということにもなりそうです。
う〜ん。。どうなんでしょう。。
さて、賛成するか反対するか、どうしようかと考えた時、皆さんはどうしていますか。
きちんと、自己の信ずる正義(価値観)に基づいて判断していますでしょうか。
きちんと、自己の信ずる正義(価値観)に基づいて判断していますでしょうか。
「なんかよく分からないけど、それで助かる人がいるなら賛成(登録)するよ」と考えている人はいませんか。それで大丈夫ですか。
そういった判断は本当に自己の正義(価値観)に根付いたものですか。
ぶっちゃけ、今の私にとって、賛成か反対かという「結論」には興味がありません。
私が今興味があるのは、その結論に至った筋道、思考過程、その人の持つ正義(価値観)です。
そして、何らかのトピックについて、自己の正義(価値観)に基づいて決断を下すためには、自分自身が信じているものは何なのか、何を正義としているのか、ということを認識していなければなりません。
つまり、自己認識、ですね。
これが非常に厄介ですよね。
自分が信じる正義(価値観)っていわれてもねぇ......HAHAHA'`,、('∀`) '`,、...
これを獲得するには、とにもかくにも、ひたすら考えなきゃ駄目ですね。
哲学書や基本書には載っていませんしね。。本に書かれているのはその著者の信じている正義(価値観)ですもんね。。もっとも、制作物(本だけに限られず、ありとあらゆる表現活動に妥当することと思いましたので、制作物と表現します。)の中にその人の正義(価値観)がきちんと表現されているものって、実際そんなに多くはないんじゃないかなと個人的には思っています。
しかし、他者の信じている正義(価値観)を理解することは、自己の正義(価値観)を形成、認識するのに有用なんじゃなかろうか。証明していないから本当に有用なのか、それとも実は有害なのかは分かりませんけど。。
つまり、何が言いたいかというと、
「お米食べろッッ!!!!!!!!!!」松岡修造
じゃなくって、
「名作に触れろッッ!!!!!!!!!!」
ってことですね。
多分、これまたなんの根拠もなく言いますが、時代(時間)の洗礼をくぐり抜けてきた名作達には、その制作者の正義(価値観)がきちんと反映されているんじゃないでしょうか。
私は最近になってようやく名著を読み始めたのですが、自己の正義(価値観)を確立、認識出来るようになるためにも、頑張ってみようと思います。
それでは皆さん、おやすみなさい。
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