2012年3月13日火曜日

The Right to Be Forgotten -忘れられる権利-


The Right to Be Forgotten -忘れられる権利-
        →→ GIZMODOの記事参照 (*'-'*)。


どど〜ん!!
なんだかどっかの映画タイトルにありそうな感じですけど(*'-'*)、
これは非常に興味深い問題です。

「知る」という行為と「表現する」という行為の相互関係を深く考えさせられます。


さて、GIZMODOの記事において非常に気になった部分を少しピックアップ(*'-'*)。

“ヨーロッパの忘れられる権利では、他人がアップした自分の情報(嘘のない事実の情報)=パート3も、自分がアップした自分の情報=パート1も「個人に関する情報」というくくりで、同等に扱われている。”

私はこの考え方には反対です。
「自分の意志で発信した個人情報」と「他人が勝手に発信した個人情報」とでは、明確に異なるというのが私の考えです。
それがたとえどちらも「個人情報」であったとしてもです。

自己の意思に基づかずに公開された情報であるならば、忘れられる権利という名の削除請求も可能でしょう。
もちろん、『宴のあと事件』や『北方ジャーナル事件』等で示された要件が満たされれば、表現の自由が優先され得ますが。

しかし、自己の意思に基づいて公開した情報であるならば、もはや削除を法的に強制させることは出来無いのではないでしょうか。

(※ちなみに、インターネットのホームページは、不特定の者がアクセスできる点で通信内容に秘匿性が認められず、捜査機関が令状なくしてアクセスしても「通信の秘密」(憲法21条2項後段)を害しません。)


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【仮想事例】
 2012年3月13日、Xはtwitter上で「今日学校のテストでカンニングしてやったわ」という発言をした。
 この発言を発見したAは、当該X発言をリツイートしまくり、拡散させた。
 そのリツイートにより炎上。
 その炎上をきっかけにBはXの過去ツイートをしらみ潰しに調べ上げたところ、過去にX自身が所属学校、所属サークル、バイト先についての情報を公開していたことを発見した。Bはその情報をまとめ、拡散させた。
 Cは@wiki等のまとめサイトを利用し、これまでに集まったXの情報を一元的に管理・閲覧できるサイトを設立した。
 当該まとめサイトに掲載されていた所属学校・所属サークルと同じ学校・サークルに所属しているDは、バイト先情報やXの過去のツイート等から、Xの本名が◯◯であるとの確信を得た。Dは当該まとめサイトに対しXの本名が◯◯であることを伝えた。
 その結果、まとめサイトにはXの本名が掲載されるに至った。
 この炎上騒ぎを知ったXは、すぐさま自己のtwitterアカウントを削除した。
 また、Xは当該まとめサイトに対して、自己に関する情報の全てを削除するようにとの請求を行った。

 さて、Xがこういった削除請求をした場合、「法律によって」この請求に強制力を持たせることが出来るのでしょうか(*'-'*)。そういった法律が制定された場合、当該法律の合憲性について述べよ。(5点)
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まず思い浮かぶのは、この「忘れられる権利」を「プライバシー権」の一内容と捉える方向ですね。プライバシー権の社会権(請求権)的側面を重視する方向性。

しかし、プライバシー権の一内容と捉えるのには違和感が残ります。
何故なら、【裁判例】でも【有力学説】でも、プライバシー権の定義には当てはまらないと考えるからです。

■裁判例定義:プライバシー権とは、私事をみだりに公開されない権利をいう。(※この定義じゃない裁判例もありますが)
■有力学説:プライバシー権とは、自己に関する情報をコントロールする権利をいう。

そもそも、プライバシー権って、自己の意思に基づかずに個人情報を公開された場合に問題となるものだと思うんですよね。。
だからこそ裁判例も「みだりに公開されない権利」と定義付けているわけだし。。
一方で有力学説の立場に立った場合も、微妙だと思います。
もちろん、「自己に関する情報をコントロールする」という内容に、「自分の意志で公開した情報のコントロール」までもを含むのなら、忘れられる権利もプライバシー権の一内容と言えるかもしれません。つまり、プライバシー権の社会権(請求権)的側面をかなり重視するという考え方ですね。


しかし、インターネットを利用するに際して、その利用者は「公開した情報は世界中に拡散し、もはや完全に削除することは不可能である。」ということを承知しているはずです。
そのことが大前提となっているはずです。

したがって、インターネット利用者は以下の4種類に分類できるのだろうと思います。

1. そういったリスクを承知した上で情報公開している方々。
2. そういったリスクを負えないと判断し、単に情報収集だけにするとか、あるいは個人情報を含まない限定的な情報公開だけにするとか、そういった利用方法をとっている方々。
3. そういったリスクを認識出来る能力があるのもかかわらず、認識しておらず、個人情報や犯罪自慢をインターネット上で行う方々。
4. そういったリスクを認識出来る能力がない(or未熟な)方々。例えば小中学生等。この方々については、パターナリズム的観点から保護の対象とすべき場合があり得ます。


また、インターネットというオープンな場所で自らが公開した時点で、当該情報の「秘匿性」は否定されます。
この「秘匿性」という要素は、プライバシー権との関係で大きく影響を与える要素だろうと思われます。


こういったことから、私は、「忘れられる権利」は「プライバシー権」の一内容としては保障されないと考えています。

また、別途憲法13条により「新しい権利」として保障されるか否かも検討すべきでしょうが、これまた私は保障されるものとは考えません。

私なら、「そんなの自己責任でしょ」の一言で終わらせます(*'-'*)。

【プライバシー情報】
    ↓
【とてつもなく重要で、人格的生存に不可欠な情報】
    ↓
【みだりに不特定多数の者がアクセスできる場所において公開すべきではない】


このような、通常の判断能力を有する一般人の理解が出来無い人達は、そもそもインターネット利用を考え直したほうが良いのではないでしょうか。
少なくとも、自己の個人情報に関連する情報をみだりに安易に公開することは避けるべきなのだと思います。限定的な情報公開を心がけるべきでしょう。


やっぱり私なら、「自己責任」の一言で片付けてしまいますね(*'-'*)。
勿論、“自己の判断で公開した情報に関しては”という限定は付きますが。
したがって、上記仮想事例においても、A・B・Cの行為は許容され得る行為だと思います。
(※倫理的・道義的観点からはいろいろ判断が分かれるとは思いますが。。)
一方で、Dの行為は微妙です。。「Xの本名」という情報はXの自由意志に基づいて公開されていた情報とは言えませんからね。。
ただ、「公開された情報をつなぎ合わせることで新たな情報を発見する」という行為を禁止or許容すべきかは考える必要があると思います。
「所属学校・所属サークル・バイト先」といった公開情報から「本名」を特定するという行為を、どう扱っていくか。。。(*'-'*)。。
所属している組織や地位などから、もはや誰であっても1つの情報に行き着くというような場合(ex. ◯◯県出身で△△歳の女性衆議院議員等の場合)には、その[特定行為]は問題ない気がします。逆に、一般人からすれば当該公開情報だけからは依然として1つの情報に行き着くことが出来ないような場合には、[特定行為]によって新たな情報を公開することはアウトのような気がしないでもないです。
なかなかに面白いトピックです。。。


最近、twitter上での犯罪自慢が炎上し、当該twitterユーザーの本名や住所が特定
されるという場面をよく目にします。
こうした場面に遭遇すると、「なんでネット上で公開するのだろう...馬鹿だなぁ...自業自得だろうに...」と思う一方、「本人が公開した情報以外の情報まで特定してそれを公開することがどこまで許されるのか...」という疑問も浮かんできます。



それから、『人間の記憶を消すことは出来ない』という事実を忘れてはいけませんね。
たとえ「忘れられる権利」によって、外形上、情報が消えたとしても、その情報を有する人の記憶そのものを消すことは出来ません。
(もちろん、脳にショックを与えて人為的・作為的に記憶喪失させることが可能なのかもしれませんが。。)
このことも踏まえた上で、この権利の本質は何なのかを考えていく必要があるのではないかと思います。





今日の御飯は「とんかつ」です。
それでは皆さん、おやすみなさい。

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